仲井れい子後援会事務局
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講演より

講演より

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今日は「外国人研修者がみた日本の人権」という講演を拝聴しました?

ある事柄を差別と判定する場合、告発するものの伝達能力・表現力と受け手の感性によるところが大きく、客観的事実として差別の存在を証明するのは簡単ではない。差別をする側にいる人々にそれが差別であると認めさせるには困難が伴い、〜「差別」という文字を「いじめ」に変換すると、より現在の日本が浮き彫りになるように思います。最近話題の教師による教師へのいじめ問題もしかり、いじめをいじめといじめられた者が告発するのは困難である場合が多いようです。

いじめる側がそれをいじめとは思っていない、むしろ相手のため、全体のためと独善的に考えている場合も多く、
またいじめのリーダーが組織の中で影響力の強い場合、いじめられてる人の告発はスルーされてしまわれがちとなります。面倒な揉め事は避けたいというのが大多数の考えでそれはいじめではない、ただの冗談だ、あなたのためを思って言ってやってるんだなどという言葉に封じ込められてしまうのです。

講演のお話とは少しそれてしまいましたが、講演後、知り合いの民生児童委員さん達といじめで引きこもり中のお子さんのお話をしていじめを認定してもらう難しさについて語り合いました。

講演の中では、日本人はリスク回避、安心安全を求めるので規則を強化しがちで制度に合わない、自分たちの常識に合わない、変な人は避ける傾向が強いという話もされていました。つまり、外国人に対して、英語を話さねばならないというリスクを避け、毎日パーティをしてさわぐのではないかという先入観から入居拒否など、外国人の人からすると差別されていると感じることが起こるようです。

異質なものは排除、そんな文化が確かに日本にはあるのかもしれません。しかしながら、世界を変えるのは変人だとも言われています。理不尽な目に合った怒りを発奮させて、大きなエネルギーを生み出し成功する人もたくさんいます。

心を打ちのめされて、外に出るのがこわくなっている人たちに負けないでほしいと気持ちを届けたい、だけどどうすればいいんだろうと考えていますと、今年の田辺城祭で講談をされた玉田玉秀斎さんがテレビに出てられて、
どこにも行き場のないホームレスの人たちに講談で自分の人生を語ってもらうという活動をされている姿を拝見しました。

心くじけて社会からはみ出してしまった人々にあたたかい眼差しを向け、
もう一度人生に向き合う機会を作ってられる姿に感動しました。

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