仲井れい子後援会事務局
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07日

いじめについて思うこと

私、ただ今52歳。この年になって思うのは、いじめというのは大人になってもあるなあっていうことです。

何をもって「いじめ」というのか、その定義が曖昧なので、いじめを受けた側が声をあげにくいし、声をあげることで、かえって非難されてしまうこともあります。

日本社会は、「和をもって貴しとなす」なので、できるだけ、いざこざは避けたい。たまに横柄な人がいても、ガマン。見て見ぬふりをする、なかったことにする、そんな風潮であるように感じます。

なので、学校でいじめを受けた子供が誰かに相談しても、「いじめられる側にも問題がある」「ふざけているだけなのに、気にしすぎ」「そんなんだからみんなに嫌われる」そんな言葉でよけいに傷つき、いじめられてる、ということが大変恥ずかしいことだと感じて、誰にも相談できないという場合も多いのではないでしょうか。

冒頭にも書きましたように、大人になってもいじめはあります。だから、いじめ問題を考えるためには、人間は本能的にいじめをするもんだ、という前提に立つべきだと思うのです。

もちろん、たいていの人は自制心と良識があり、愛と慈悲の気持ちの方が大きく、いじめを積極的に行うことはないでしょう。

では、なぜ、いじめが起こるのか。

わざと相手のいやがることを言ったりしたりする、直接暴力をふるう、その結果、相手が悲しそうな惨めな姿になる。それを見たいんだと思うのです。

ですから、ヒステリーな方が怒鳴り散らす、というのはいじめではなく、大勢の前で怒鳴りつけて面目をつぶす、さらし者にする、というのはいじめだと私は思います。相手の心にダメージを与えたいのだと思います。

そして、萎縮した相手を見て優越感に漬る。自分自身の自尊感情を高めるために、相手を貶める。自分自身が幼い頃からそういう扱いを受けてきたので、それをそのまま他人にしてしまう人もいらっしゃると思います。

その場合も、自尊感情が育ってないのではないでしょうか。自尊感情とは、自分は価値ある人間だと思う気持ちです。自分で何かを成し遂げて、結果自分って素晴らしいと思うことがあると思います。

自分自身で自分に価値を見つけるのはいいのですが、人を貶めることで、自分の価値が上がったように思うのは錯覚です。かえって、自分の価値を下げる行為だと思います。

大人ならまわりの人もだんだんとそういう行為に気付いてきます。子供の場合は、そんな関係性の中でいると、自分がいじめを受ける立場になることもあるだろうし、大人になってからかつて自分がいじめた相手と出会って困ることもあるだろうし。人を貶めて得た自尊感情では、本当に自分自身を高めることはできない、いつも自分と他人との価値を比べている環境では、心安らかに毎日を過ごせないと思うのです。

また、いじめを受けた側も、自分が悪いからこんなことを言われるんだ、自分はこういう扱いを受けて当然だ、等とは思わず、自分は生まれてきただけで価値ある存在で何人も自分を貶める権利は持ってないとしっかり認識し、自分の心を守る行動をしてほしいと思います。

いじめに関しては、いろんな切り口があるかと思うのですが、私は幼い頃から自尊感情を高める教育をし、自分も他人も大切な存在として認識することが大切だと思います。